自我に振り回される日々から 魂の声に導かれる生き方へ
魂と自我について考えたことがありますか??
日々の生活を送る中で、意識していようといまいと、自分の内側にある2つの大きな力と向き合っています。
それが「魂」と「自我」です。魂と自我とは、私たちが生きる上で切っても切れない関係を持ち、人生の選択や方向性に深く影響を与えています。
では、この2つの側面がどのように私たちに作用し、どのようにバランスを取るべきなのでしょうか?
魂の声とは?
どんなものでしょう!!
魂とは、私たちがこの宇宙で生まれる前から存在する永遠のエネルギーであり、物質を超えた存在です。
魂は私たちの本質そのものであり、私たちがこの世に生まれてきた目的や方向性を決定づけるものであるとされています。
しかし、私たちは日常の喧騒や現実の問題に追われる中で、魂の声をどれだけ意識しているでしょうか?
あるいは、その声に耳を傾ける時間を取っているでしょうか?
魂は常に私たちを導いています。どんな経験をしても、魂はその背後で静かに見守り、私たちが成長する機会を提供しています。
大きな喜びや愛の瞬間、時には深い悲しみや苦しみの中にあっても、魂はその経験を通じて学びを得ているのです。
では、私たちはその学びに気づいているでしょうか?
それとも、物事の表面的な部分に囚われて、魂が求める成長を見失ってはいないでしょうか?

あなたの本質に気づく
では、自我の役割とは何だと思いますか??
自我は、この物質世界において「私」という感覚を形作るものです。私たちが日々感じる喜怒哀楽や、他者との関わり、成功や失敗に対する感情のすべては、自我から生じています。
自我は私たちに個性を与え、自己を守るために現実世界での判断を下す力でもあります。
しかし、自我が強くなると、私たちは物質的な欲望や恐れに支配されやすくなり、魂の声が聞こえにくくなることがあります。
あなたは、今自分の選択や行動が自我に引っ張られていないか、考えてみたことはありますか?
私たちが自我の声に振り回されるとき、それはしばしば不安や恐れ、競争心や執着心といった形で現れます。
自我は私たちを守るためにこれらの感情を抱かせますが、その結果、私たちが本当に求めているものや、魂が目指す方向から遠ざかってしまうこともあります。
では、どうすれば自我と魂の声を調和させ、よりバランスの取れた生き方ができるのでしょうか?
魂と自我のバランスを取る
これが実現できたとき、私たちの人生はより充実し、真の意味で自分らしい生き方ができるようになります。
自我は現実世界での実践的な役割を担い、私たちが社会の中で機能するために必要な力です。
一方、魂は私たちの成長と進化を見守り、もっと大きな視点で人生の方向性を示しています。
では、どのようにして魂と自我のバランスを取ることができるのでしょうか?
一つの方法は、日常生活の中で自分の内側に意識を向けることです。忙しい毎日の中でも、少しの時間を使って瞑想や自己探求を行い、自我の声を静めて魂の声に耳を傾けることが大切です。
魂が何を求めているのか、何を学ぼうとしているのかを感じ取ることで、私たちはより本質的な選択ができるようになるでしょう。
また、困難な状況に直面したとき、その出来事が自我の欲望によって生じたのか、それとも魂が成長のために与えた機会なのかを見極めることも重要です。
あなたが今直面している挑戦は、魂が何を学ばせようとしているのでしょうか?
その問いに答えることができれば、人生の捉え方が変わり、困難さえも魂の成長の一部と感じられるかもしれません。
魂の声を聞くためには、日々の喧騒から離れ、内なる静けさに触れることが必要です。
瞑想や内省、あるいは自然の中での散歩など、心を落ち着けて内側に意識を向ける時間を持つことが大切です。
自我は常に現実の中で私たちに働きかけてきますが、魂の声を聞くためには、その自我の声を一時的に静める必要があります。
あなたは、今どれだけ自分の魂と対話していますか?
自我に支配されていないかを確認し、内なる魂の声に耳を傾けてみると、新しい気づきが得られるかもしれません。
魂が求める道を歩むことで、より豊かで意味のある人生を歩むことができます。
私は自我の声を聴く瞑想が好きでなく
ほとんどやってこなかったの($・・)/~~)($・・)/~~~ですが、自我の声とはっきり区別がついたのは、宇宙から降りてきたホワイトチューニングというエネルギーを流した時でした。それは、思考を止めるエネルギーでした。
その瞬間は思考が止まり魂が優位に立っているそんなエネルギーでした(メニューには載せていませんが)
思考が止まっても自我は魂と繋がるのに恐怖を覚え一生懸命私に語り掛けてくるそんな感じでした。
自我も一生懸命、注意を惹きたく語り掛けてくるのがとても面白く、可愛いとも思えました。
まるで、子供が親にやっている行為と同じでした。
皆様も機会があったら内観して自我が必死に語り掛けるのを聞いてみてください。